翠の独り言

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zoom RSS 山吹の里

<<   作成日時 : 2005/05/18 23:56   >>

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太田道灌といえば、江戸城を築城した人として有名ですが、「太田道灌」ときいて私が真っ先に思い浮かべるのは山吹の里伝説です。

高田と西早稲田を結ぶ神田川にかかる面影橋。明治末までこの辺りは山吹の咲き乱れる野原だったと言います。
幼い頃、ここに連れていかれて太田道灌の山吹の里伝説をきかされました。そこに出てくる和歌が何とももの悲しく、深く印象に残ったのです。以来、私はその地が山吹の里伝説の舞台であると信じてきました。
ところが最近、ある人から「山吹の里は埼玉県の越生だよ」と言われ、衝撃を受けました。
そんなバカな・・・・と思い調べてみたら、山吹の里伝説の舞台とされる地は他にも東京都荒川区町屋、神奈川県横浜市六浦などにも存在するそうで、どうやら特定できていないようです。

そもそも山吹の里伝説とは・・・・
ある日、鷹狩りに出かけて俄雨にあってしまった道灌は、近くにあったみすぼらしい家に駆け込みました。そこで、蓑を貸してほしいと頼むのですが、少女が出てきて黙って一輪の山吹の花をさしだしたのです。
花の意味が分からない道灌は怒って雨の中を帰って行きました。
その夜、道灌がこのことを語ると近臣の一人、中村重頼がこう言ったといいます。
「後拾遺集に醍醐天皇の皇子、中務卿兼明親王が詠まれたものに”七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき”という歌があります。その娘は蓑一つなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか」
驚いた道灌は自らの不明を恥じ、この日を境に歌道に精進するようになったといいます。

山吹は一重のものは黒い実がなりますが、八重咲きの八重山吹は実をつけません。
少女は蓑(みの)がないことを、実をつけない八重山吹をさしだして「みのひとつだになき」にかけたというわけです。
しかし、貧しかったというのにこの教養の深さ!この少女、何者だったのでしょね。

私が幼い頃教えられた高田の説には続きがあり、蓑を求められた家の少女、「紅皿(べにざら)」を後に江戸城に呼んで和歌の友としたという話や道灌が亡くなった後、紅皿は新宿区大久保に庵を建てて尼となったといい、その紅皿の碑も残っています。
しかし、越生にも数々の伝承があって有力視されており、私としても実は越生なのではないかなぁ・・・・と思う今日この頃です。(^^;

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